【あれから、15年 警察庁長官銃撃事件】(中)「供述100%あてにならない」(産経新聞)

 ■元巡査長に振り回され

 男「そこまで言われると私が撃ったんですかね。でも長官を撃った実感がわかないんですよね…」

 捜査員「感覚を聴いているんじゃない。事実だけを語ってくれ」

 警視庁南千住署捜査本部は時効が迫る昨年10月以降、十数回にわたって男から事情聴取を重ねた。動揺をみせるそぶりをしたり、1時間も黙り込んでしまうこともあった。男はオウム真理教信者だった警視庁元巡査長(44)だ。

 「実行犯でなくとも、現場を下見するなど事件に関与したことは間違いない」(捜査幹部)。元巡査長はこれまでに「現場近くで右側駐車し職務質問された」と供述。実際の状況は少し違っていたが確かに職務質問されたことは事実で、「右側駐車」のキーワードは“秘密の暴露”にあたると捜査本部は踏んだ。

 だが、職務質問されたのは元巡査長ではなく、別の信者から聞いた話を自分の体験のように語った可能性を排除できなかった。

 元巡査長の説明は揺れ続けた。事件は元巡査長の供述に翻弄(ほんろう)された歴史でもあった。時効直前になってようやく導きだされた答えは、「元巡査長の供述は百パーセントあてにならない」(警察幹部)ということだった。ここまで振り回されたのはなぜか。

                   ◇

 平成8年3月、教団幹部はこう供述した。「事件はテレビの速報テロップが流れる前に(元巡査長から)知らされた。彼が何か知っているのでは」。警視庁公安部はひそかに元巡査長を聴取。すると驚くべき証言をした。「長官を撃ったような記憶があるんです」

 直ちに極秘のプロジェクトチームが編成され都内のウイークリーマンションに隔離し事情聴取を重ねた。結果的に10月になって報道で表面化し、公安部長の桜井勝(65)は更迭、警視総監の井上幸彦(72)も引責辞任を余儀なくされた。

 その後も公安部は水面下で聴取を重ねた。動き出したのは14年暮れ。「下見をした」「実行犯にコートを貸した」…。元巡査長は実行犯でなく支援役だったとの筋書きでストーリーを組み立てた。さらに、クリーニングに出したコートからは、拳銃を発射した際にできる「溶融穴」があった。鑑定で「長官事件の銃弾の一部としても矛盾はない」との結果も得た。

 初めてのカチッとした証拠。「元巡査長の供述が裏付けられた」(当時の捜査幹部)として東京地検を説得。16年7月に元巡査長を含むオウム幹部ら4人を逮捕した。だが、再び元巡査長は「自分が撃ったかも」と供述。結局、不起訴処分となった。またも元巡査長に翻弄されたのだった。

                   ◇

 「供述ではなく物証で勝負するしかない」(捜査幹部)。捜査本部は19年以降、元巡査長の所持品の鑑定を進めた。アタッシェケース、手袋、眼鏡、マスク、革靴、机の引き出し…。いずれからも火薬成分の鉛とバリウム、アンチモンが検出された。

 だが、3成分が一体となっていれば拳銃を発射した際の「火薬残渣(ざんさ)」と類推されるが、バラバラに付着していたことから火薬残渣との結論は得られなかった。元巡査長は事件1カ月前の警視庁の部内講習で拳銃訓練をしており、この際に付着した可能性もあった。

 8年の「実行犯」から16年の「支援役」、そして時効前に再び捜査本部は「実行犯」とする筋立てに戻った。警視庁上層部が元巡査長実行犯説を強く主張したためとされる。

 「個人的にはもう元巡査長は無理だと思った。だが上層部の意向には逆らえない。限られた時間を有効に使えていたのか思いを巡らすと悔いが残る」と捜査員は唇をかむ。現場と上層部が元巡査長をめぐる筋立てで一枚岩ではなかった。

 そのころ、刑事部捜査1課はオウムとは全く別の犯人像に目を向けていた…。(敬称、呼称略)

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